幸はギブ&ギブ

大変!前の投稿から半年も経ってた、なんなら年変わってた。

この半年、新しい土地に来ていろんなことがあった。仕事、家、人間関係、全部がまた新しいフェーズで進んでて新鮮。友達ができたと思ったら離れ離れになったり、彼氏ができたり、日本から友達が会いにきてくれたり、アジア料理にハマったり、バリスタクラスを受講したり、次のステージでしたいことが見つかったり、短期間で3回も熱出すほど体調崩したり、信頼されることの難しさを体感したり、働く単調さと安定とやりがいについて悶々と考えたり。あと、年齢の関係か、これしたい!って突き進む時のパワーが弱ってきてるのはひしひしと感じてる。それでもやっぱりしたいことの軸は昔から変わってないし、仕事にはやりがいは求めたいし、どこでも人に恵まれる幸運さは相変わらず発揮してるし、彼がいてくれることが日常の彩りになってるし、友達はずっとずっと大切にしたいし、ルームメイトとは2人でお出かけするくらい仲良しだし、今のこの生活を存分に楽しんでいるのかも。

 

どこか無意識にもっとこうしたい、足りてないと思うことが幾度かある。人と比べてしまうこともあるし、彼に期待しすぎてしまうこともある。信頼に関わることも何度かやらかした。仕事があるのに熱出すし、日本から会いにきてくれた友達と過ごすための休み希望も出し忘れた。まだまだいくらでもあるけど、反省して直すとこ直してより素敵なニンゲンになりたい。大事な人を大事にできる人でいる。自分から幸せをギブできる人でいる。私のまわりが笑顔で幸せでいてくれることが私の幸せ。

 

5月には家族に会える!9月にはもう一つの家族にも会うんだ!

人に感謝して、今に感謝して、したいことはすぐ実行して、人生動かしてこ。

夢の叶え方

初めての土地、新生活。ワクワクして踏み出した一歩だけど、家も仕事も決まってない状態からだとどうしても不安が勝つ、ことがある。自分で決断したことなのに、後悔もあるし、どうしてって自分を責めたり下手だなって思ったりすることも多々ある。でも、私の強みは行動力と度胸と適応力と運。よく大器晩成と自分で思うけど、一度決めたことはやめない限り叶える力もある。ポジティブに変換する能力だって人一倍だし、どんな人ともうまくやっていく能力にも磨きがかかってきてる。そうだ、すべてのことは繋がってるんだった。なんでも行動したことに意味があって、すべて経験になって、自分の糧になってる。だから大丈夫、このピンチも私なら乗り越えられる。って言い聞かせてる。

最近学んだことは、落ち込む暇があったら行動しよってこと。ほとんどの時間をポジティブに過ごせてる友達に聞いたの。そしたら、とにかく先にやっちゃうんだって。to do listにずっと残ってたら、それが気になって他のことが手に付かないから、やるべきことは早々にやっちゃう。準備が必要なら、前もって調べたり予約したりしちゃう。そうすれば、次にすべきはこれとこれ、って脳内もlistもすっきりだし、無駄に不安に思うこともない。やりたいことがあったら、すぐ方法とか行き方を調べちゃう、後回しにしない。ただそれだけで、前向きに、かつ目標に近くいられるなんて!!私にとっては大発見だった。いや、気付いてはいたんだけど、そんな特大メリットがあったなんて。やるしかないですね。そこから、漠然と思ってるだけの状態が不安につながるから、行動してネガ解消+達成に近付く、を意識して生活してみてる。仕事が必要なら、探す、レジュメ配る、人に聞く。バリスタになりたいなら、学校に行く、カフェで働く、経験を積む。幸運なことに、私は目標を叶えてきた人だから、やれば叶えられることはこれまでの人生でわかってる。コーチングも自分で引き寄せて資格取れたし、昔からの夢も何個も叶ったし。だからあとは、やるだけ。なんてシンプル!!海外で、っていう自分的に割と高くなってたハードルも下げることできたし、もう悩むことないよね笑 これからの人生やりたいことたくさんあるので、幸せに生きていこうという所存。このポジ思考+行動力は2023で得た宝物ランキングの上位に君臨するな~。lazyな自分が強すぎてびっくりすることもあるけど、やる時はやって、着実に夢叶えてこうね。

「気遣い」と「優しさ」

ふと「気遣いと優しさは違う」と思った話。

 

人と生活してて、「あ、これしてくれてたんだ ありがとう」と思う時、2種類のタイプに分かれるなと思った。

 

例えば、ホットサンドの材料を先に全部持ってキッチンに行ってくれたり、ドアを静かに閉めたり、早くご飯を食べたいはずなのに黙ってスマホ触ってタイミングを見計らってくれたりするのは、気遣い。自分が反対の立場になった時に相手がこうしてくれたらいいな、を先回りで行動すること。たまに、少しだけ、「私はこう行動してるんだから、あなたも同じようにしてよね」という圧のようなものを感じる、ことがある。言葉の節々に「〇〇してくれなかったから自分もしない(というか言葉ではっきりとも言っていた)」の類の感情を感じ取ると、せっかく有難いと思ったとしても、あ、そうですか、とほんの少し心が冷めてしまう。

 

対して、自分だけ休みの日にシェアの部屋を掃除したり、マグカップを洗ってあげたり、干し忘れてるズボンを困るだろうなと思って代わりに干してあげたりするのは、優しさ。別に相手が同じ行動をしてくれなくても全然いいし、結果に関係なく純粋に相手のためにしてあげた方が気持ちいいだろうな、助かるだろうな、と思ってする行動。これ美味しいからシェアしたいなと思って一口あげるとか、相手が取りやすいだろうなと思って木の枝を引っ張ってあげるとか。無償の愛的な行動は優しさと呼んでいいんだと思う。

 

自分にもしてほしいと見返りが感じられるのが気遣いで、お返しに何もしてくれなくてもいいから相手のためにしてあげたいとしてあげるのが優しさかなと。ぼんやりね。別にそこを気にしすぎて生活してたら、感謝も芽生えにくいし、そこまで重要視することでもないんだけど。あ、今のは今後の私にこう行動してほしいからやったんだろうな、と気付いてしまう時、少し悲しい。と同時に、優しさと愛でいっぱいの家族や友達に囲まれて生活してたんだなあという感謝の気付きも大きい。これまで気にしなくてよかった環境がとってもありがたい。そんな区別なく人には優しくできる自分でいたいなと思った、2023冬(夏)。

 

だからといって、相手がどうなってほしいとか、そこまで期待はしない。ように気をつけてる。相手に押し付けることはまた別のことだから。私がありがたいことによく「優しいね」と性格を形容していただけるのは、そういった何気ない優しさ、相手のことを考える寄り添い力が人より長けているからだと思うことにする。というか本当にそうなのだと思う。優しいって、私の何を見て言ってるの?と思ってたけど、人は人がしてることを案外よく見てる。時には、当人以上に。だから、相手がやってくれないから自分もやめるとか、このレベルの優しさしかあげないとか、そんな選択肢は持たないように。相手がどうであれ、自分は自分にできる優しさを、出会えた大切な相手には無償の愛を、できる限り注ぎたいと思う。私は私の優しさをあげたい。自己満足だとしてもそれでいい。返ってこなくても構わない。相手が少しでも気持ちよく、嬉しく、幸せになってくれたらいいなあ。欲を言うなら、その優しさと愛が循環していっぱいの世界になればいいなあ、と思いながら。自分を整えて、相手に優しくできる余裕を持って生活しようと改めて思った。おわり!

どう転んでも私は幸せ

海外生活を満喫しすぎて、帰りたくなってもいいようにビザ延長して、働いてお金も稼いで、人とのつながりも豊かになって、って妄想してた。少し前までは。そして最近の私は、日本に帰って大事な人を大事にする、仕事にやりがいと責任感を持って働く、趣味も充実させたいから旅行も定期的にする、料理がんばって美味しいものを自分で作る、好きな人の隣で好きを伝え続けたい、って、日常に幸せを感じられる生活を理想としている。憧れの生活ができる年齢になってきたのもあるし、まわりの友達が結婚出産を経験しつつあるからというのも大きい。人生について考える出来事があったのも、もっと大きい。私の人生中盤、どの選択をしても幸せになるのは間違いないし、私は私。その上で、大切な人のそばにいれたらもっと幸せだろうなあ、守る存在がいたらもっと人生豊かになるだろうなあ。のスタンスで理想像ができつつある。こういう将来のこと考える時に、どう転んでも私は幸せ、が前提にあるのは強みだと思ってる。人には恵まれて、運もいいこの人生、どうなっていくかとっても楽しみ。♡

価値観が変わった話

ここ数ヶ月、自分の考え方が少しずつ変わったと感じる。

 

これまでは、刺激が一番!ドキドキワクワクする毎日を過ごすことが自分の価値観の頂点だった。仕事にやりがいあって、おもしろい友達がたくさんいて、アップダウンもあって、すごい!と刺激をもらえる人に囲まれて生活するのが理想だった。つい数ヶ月前までは。そういうすごい人たちに追いつきたくて、海外を目指したのもあるかもしれない。

 

それが、本当にここ23ヶ月くらいでガラッと変わった。僻地にきて仕事もあまりない不安定な時期を過ごした影響も大きいかもしれない。来週の家賃に追われ、仕事があるか、クビにならないかも確証がない中、平常心で笑って過ごしてた経験はとても大きい。確かに刺激的ではあるけれど、絶対的な自分の味方がいないことがとてつもなく心細かった。みんながみんな自分の生活がかかってるから余裕なくて、孤独で。前進するしか選択肢がない中で生活するのは、今考えると大変だった、のかもしれない。今は、大切な人が近くにいて、守るべき存在がいて、仕事があって、毎日のご飯が美味しくて、「美味しいね」って笑い合える時間があって、そんな自分がちょっと好きに思える生活が送れたら私は幸せだなと思う。日常に大きな刺激はなくてもいいかな。小さなサプライズとハピネスと、笑顔があれば充分。やっと落ち着きを求められるようになった自分に感動すらしている。気付かせてくれたパートナーに感謝して、再会を楽しみに、今を全力で過ごそうと思う。アヒージョ美味しかった。

故郷での気付き

故郷に帰ってきた。期間限定で。ずっと会いたかった大切な人、食べたかったもの、したかったこと。たくさんありすぎて、毎日リストを作ってクリアしていく日々。普段後回しにしがちなことが多いけど、期限が決まっていると不思議と行動できる。いつの間にか「いつかやろう」が当たり前になってしまっていたのを反省した。先日までいた場所では、まさに「今度やろう」と延期していたことを多く残したまま去ることになってしまった。いつどうなっても後悔しない人生を送るには、毎日の積み重ねが必要だと思った。今やりたいことは今やる。会いたい人には会う。食べたいものは食べる。明日とかいつかなんて、来る保証はないし、確実にできるとも限らない。今感じた心のドキドキを信じて、今叶える。そんな生き方をする。

引き寄せてしまった話

 

ついに、ついに。潜在意識に入ってたことを実現できそうな出会いを引き寄せてしまった。私がしたいことを体現してる人を繋いでもらった。人と人のご縁を繋げること、外国語で相手の世界を広げること、楽しそうな人にどんどん声かけをして自分のコミュニティを広げること。どんどん行動してるからこそ見える景色を見てる人。話を聞いていて学ぶことたくさんあるし、「即行動」することの大切さを教えてもらっている。これしたいなあと思っても、無謀に思えてしまうことってあると思う。でも、ハードルを上げているのは自分。できるか勝手に不安になってるのも自分。やってのけちゃう人と諦める人の違いは、やるかやらないか。可能性を活かすも消すも自分次第。すぐわかることだけど、行動してる人を目の前にするとハッとするというか、自分でも忘れかけてたなあって。とにかく最初の一歩を踏み出してみること。つべこべ考えずにやってみよう。これからさらに世界が広がっていくのが、とっても楽しみ。

 

あと気付いたことは、やってみるとそんなに無謀なことではないってこと。やり方を知らないだけであって、方法さえ知ってしまえばあとは一つずつこなすのみ。上からやっていけば、そのうち形になるし、続けていれば叶えられる。その方も言っていた。「やってればできるから。大丈夫。」心に留めて、一歩ずつやっていこう。