悩み相談が苦手なワケ

このブログから離れてたたった2週間の間、怒涛の日々だった。家から出てないのに。

今日もまとまらない予感。

 

 

悩みを相談してくれた友達がいた、泣きながら電話で。心配は心配なんだけど、そんなピンチの時に私を頼ってくれたことがどうしようもなく嬉しかった。もう自分の存在価値を自分で見出すには限界だったから。コロナのせいにしてる場合ではないけど、毎日ぼんやり過ごしてたらなんのために、って考えずにはいられないし、その度に今だけだ、私だけじゃないって言い聞かせるのにも疲れた。こんな悩み聞かせてごめんって謝られたけど、私こそ月並み以下のことしか言えなくてごめん。相談してくれて感謝してる。必要とされることがこんなに嬉しいなんて。

 

周りの人の良さには申し分ないくらい恵まれてるのに、人に相談することがこんなに苦手だなんて。聞くよと言ってくれる友達はいるし、全肯定してくれる友達にも恵まれているのに、なんたって20数年相談のしかたを知らずに生きてきたから、大変苦労している。相手にとっては自分の話なんて興味ないんじゃないか、こんな暗い話したら迷惑じゃないか、困らせたくない、相談するほどのことでもないのかも、結局答えは自分の中にあるのに人に相談する意味があるのか、暗い人だと思われたくない、嫌われたくない、負の部分を表に出さない人でいたい、自分の嫌なところを晒したくない、言葉にして認めたくない。120%信用できて全肯定してくれる前提なのにこの悩み様。周りには相談するだけでこんなに悩んでる人いないと思う。そんな自分に疲れて、また嫌いなところが増えて、結局相談しないうちに気分が変わって、でもふとした瞬間に思い出してまた落ち込む。その繰り返し。涙が出る。

 

少しずつ、心のガチガチの門を緩めていけたらいいな、、。思い返せば、人生それぞれの段階で相談せずじまいで解決したわけでもなく奥底に沈めた悩み、あるなあ。けど、視点も経験も感情も、人の気持ちを察する武器にはなっているし、寄り添うきっかけにもなるし、私が私であるために欠かせない人間的な部分になってると思う。私という人間は経験でできてるからなあ、受け入れるしかないよね。そういう視点ができたことも、一連のコンプレックスの副産物に入れとくか。

 

 

ネガティブになってしまった、強くなりたいと友達に送信したメッセージに返信がきていた。

「あなたは十分強いよ、自分が思ってるよりも強い。弱くないよ」とのこと。

そうだ、そうなのか?そうかも。もはや自信のなさに自信がついてきた。でも、壁にぶち当たったのも、悩みまくったのも事実だけど、それを越えてきたのも事実。ちょっとずつ自分のこと好きになっていけたらいいな。